プロフィール

顔写真
◆ 氏名     池田 倫之 (いけだ のりゆき)
◆生年月日   昭和44年6月21日
◆出身地        愛知県




その日は雨

カミナリが鳴り雨は激しく降る嵐のような日に、私は生まれたそうです。そんな生まれた日の天気のように激しく、波乱万丈な人生を歩むかというと、そうではなく実に平凡な日々を送ることになるのですが、やはり生まれた時の天気が関係あるのか、事あるごとに雨に悩まされるのでした。

ガラスが刺さる

幼少の頃はそれなりに活発で、家の中で走りまわり玄関にあった乳母車に飛び乗り、そのまま玄関の扉に激突し扉を破壊。割れたガラスが頭に刺さり、頭に傷跡を残すことになったり、アジフライをつまみ食いして、のどにつまらせて大騒ぎしたりと、親にとってはあまり退屈しない子供だったそうです。

そして、児童会長

苗字が「池田」なので名簿の順番が1番になることも多く、新学期に学級委員を選ぶときに名簿が1番だからという理由で、学級委員をやる機会が何回もあり、6年生のときには児童会長になったりしましたが、人前に出ることが好きなのかというと、そうではなく実は喫茶店で店員さんを呼ぶのも躊躇してしまうような、恥ずかしがり屋さんだったりします。

喘息と自転車

小学生のころから喘息に悩ませれ、ちょくちょくと発作が起きて病院のお世話になっていたのですが、中学2年生の時には1週間の入院を体験することになるのですが、この頃はまだ健康の大切さはわかっていませんでした。高校生になると、自宅から学校まで15キロ弱の道のりを自転車で通うようになりました。もともと自転車が好きで(中学の頃はBMXという自転車の競技をやっていました。)自転車通学は全く苦にならず、3年間しっかり自転車で通いました。自転車通学が良かったのか、喘息は中学までで高校からは喘息とは無縁です。このころに私が整体師になるきっかけとなるオートバイに乗り始めることになるのです。

肩がはずれる

高校では3ナイ運動でバイクに乗ることは、もちろん校則で禁止されていましたが、禁止されていても好奇心には勝てません。こっそりと乗っていましたが、バチがあたったのかバイクで転んで手をついた時に、肩がはずれてしまったのです。この時はしばらく片手が使えず、普段の生活に支障がでてしまったので、体が不自由なく動くことの大切さを考えさせられました。その後、高校は無事卒業することができ、自動車修理工場に就職することになりました。

レース活動をする

モトクロス 就職してからはバイクも自由に乗ることができるようになり、ツーリングにも度々出かけました。その後、無謀にもモトクロスのレースを始めることになりました。あるレースのとき、コーナーを抜けたところで転倒している人を見つけました。なぜこんな所で転んでいるのか?との思いとともに、「どこかでみたことのあるヤツだ」そして「あっ、俺だ」と思った瞬間、視点が入れ替わり担がれて運ばれている自分の視点に戻るという不思議な体験(気絶していました)をしたりしましたが、それほど大きなケガもなくレースを続けていました。そして、あるレース中に足を骨折してしまいました。このケガは体が不自由なく動くことの大切さをそして、健康の大切さを考えるきっかけを与えてくれました。  

電車の広告

健康の大切さを考えるうちに、健康に関連する仕事に就くことを決心し、進路を探すことになるのですが、どんな仕事があるのか、本当に自分にできるのかなかなか考えがまとまらず、悩んでいるときにたまたま乗った電車の広告に整体の学校の広告をみつけ「これだ!」と思い、資料を取り寄せ内容を吟味し、整体の学校へ入学を決めました。

1997年7月7日

警備員やハウスクリーニングなどのアルバイトをやりながら、整体の学校に通い技術を学びました。いろいろなアルバイトをしましたので、整体の技術のほかにいろんな技術も身に付たりしましたが、1997年7月7日に整体院を開業することができました。いろいろな方をみさせていただきましたが、「楽になったよ」と言って頂くときは、整体師になって良かったとあらためて思います。現在は妻と娘(H18生れ)に支えられながら、整体院を続けています。